管理人オッサン( ゚ω゚)の安い給料、苦しい家計と今後の自分の人生について晒す

安い給料、苦しい家計

一般的に年収200万円以下の層がワーキングプアと言われています。オッサンはまだ、かろうじてそのラインの上を行っていますが、生活水準は満足の行くレベルまで上がっていません。

【高学歴でも】ワーキングプアとは?年収や原因について
働いても生活水準がなかなか上がらない、「ワーキングプア」と呼ばれる層があります。 実際、オッサンの周囲にもワーキングプアで嘆い...

「働いても働いてもなかなか上が見えてこない、この努力は報われるのか?」
自分の歩んだ道に疑問を感じ、日々仕事をしている人も多いのではないでしょうか(´Д`)

管理人オッサンのプロフィールとして、貧しい層に入るであろう人生について、一部晒してみようと思います。どこかで共感して頂けたり、当記事を励みに今後の人生を前向きに過ごしていって頂ければ、コレ幸いと思います。

※記事が長めです。

スポンサーリンク
★人気の記事

賃金での評価が低かった、この14年間を振り返る

思えば、隠すようなことでも無いか・・・と思うので年齢も晒します。
オッサンは2015年現在で36歳です( ゚ω゚)

オッサンというと40~50代をご想像かもしれませんが、ニックネームは結構テキトーに決めたもんで、枕くせーしオッサンでいいかーみたいなノリでした。

建築施工図を作図する下請け会社で4年間勤める

大学を半期留年の9月で卒業して就職をします。当時、空間デザイン系の大学を卒業した私は建築系の仕事がしたいと思っていました。

卒業は2002年、その当時は就職氷河期とも言われ、今以上に雇用状況はひどいものでした。

>>>就職氷河期(ウィキペディア)

オッサンは比較的ラクに就職先が決まり、図面を作成する下請け会社に入社。小難しい話に
なるので仕事の内容は伝えませんが、いわゆる建築の図面屋です。

すごくやりがいを感じて仕事を覚え、黙々と残業もしました。一人で建築現場に赴いて打ち合わせも行い、当時は若くて馬力もあったので、仕事に対してはがむしゃらにやっていました。

安い給料、苦しい家計

年間を通して仕事の量に波のある職種で、夏場忙しく、冬場はヒマ。当時のお給料は、夏場の繁忙期に残業代込みで手取り16~18万円ほど、冬場の暇な時期で12~13万ほどでした。

仕事を一通り覚えて、一人で何でも出来るようになったものの、勤めた4年間で給料の昇給は一切なし。26歳になっても、冬場は12万円程で過ごすしかありませんでした(´Д`)

当時の彼女(今でも側にいます)はバイトをしており、二人でお金を出し合って何とか生活をしていました。とはいえ、手取りが少ない時期は目立った買い物も出来ず、誕生日やクリスマスを祝うだけのお金も無い時もありました。

26歳にもなって、一切の昇給もない。周りの友人たちは公務員で安定給だったり、昇給して
比較的苦労の少ない生活を送っている。なんで努力が報われない?と、この辺りから心に闇が広がる感じがあって、友人ともどんどん疎遠になっていきました。

安い給料、苦しい家計

上がらない給料、目の前の仕事に必死に努力をしている自分の横で、急ぎの仕事もなく営業するでもなく、ただ暇潰しに眠り続ける上司。

「俺は無能な上司の給料を稼ぐために、一生懸命に働いているんじゃない!」と社長に告げ、上司も社長からきつく叱責を受けたものの、何も変化せず。ここは努力が報われない場所だ、そう思ったオッサンは辞表を叩きつけて辞めるのでした。

誰かと比較して自責の念を感じ、嫉妬し、思いつめるようになったのもこの頃から。

同じ職種の下請け会社で1年も続かず退社

最初に勤めた会社を辞めたあと、しばしフリーの身体でいました。今までの知識を生かして、他の下請け会社の図面作図をお手伝いしたり。しかし、その中でも人とのコミュニケーションの失敗、実力不足での叱責などあり、日増しに自信を失っていきました。

肺気胸にもなって入退院を繰り返し、手術をしたりと肉体的にも辛かったです。徐々に税金や健康保険も滞納するような生活になり、彼女にも大変辛い思いばかりさせました。

自然気胸の症状や痛み・原因と、2度の再発による手術経験
胸の不自然な鈍い痛み、ヤセ型男性は気胸かもしれません。 たまに芸能ニュースなどでも取り上げられる、肺気胸という...

いつまでもフリーでいられない、そう思い、建築施工図を作図する別の下請け会社に勤める事になりました。給料は残業しても全く出ない、休日もぜんぜん休めない。

いわゆるブラック企業でした。

安い給料、苦しい家計

就業規則もハローワークで聞いた内容と全く違いましたが、就職氷河期の煽りを受け、
我慢するしかありませんでした(´Д`)

当時、28~29歳で手取りは20万円固定でした。社会保険なし、毎日毎晩容赦なく叱責の罵声が飛ぶような環境でした。

しかしオッサン自身、頭も身体も、そして心もおかしかったのか、初めて「20万円」という
給料を貰ったことを彼女に伝えて、まるで子供のように喜んでいました。

「今までで、やっと最高額がもらえた・・・。。・゚・(ノ∀`)・゚・。」
たったそれだけの事でしたけど、20万円の「2」という数字が本当に嬉しかったんです。

しかし、休みもなく、罵声を浴び、次々と業務を詰め込まれる中で、精神的にも肉体的にも
疲労していきました。

安い給料、苦しい家計

By: Victor

いい歳こいた男が、一生懸命やっても報われないと泣き、自責の念や嫉妬心はただ膨らむ一方でした。この頃にはたくさんいた友達と呼べる仲も激減し、話せる友人はたった一人だけとなりました。

そしてこの職場でも、理不尽な上層の人間に対して不満が吹き出ました。
正直、気持ちも滅入っていました。

同時に入社した1つ年上の人は、3ヶ月ほどですぐに辞めていきました。その後も、入っては辞め、入っては辞め。結局オッサンは9ヶ月程でその会社を辞める事となりましたが、その間に辞めていった人は途中で逃げた人も含め4人。

アホなくらいに短い期間ですけども、本当にしんどい9ヶ月でした(´ω`)

その頃既に年齢は29歳。転職活動も、年齢制限的に厳しくなり、選ぶことも徐々に出来なくなっていきました。就職難はなおも続き、色々な企業に面接に行くも、落とされる毎日。
それでもインターネット、ハローワーク、民間就職センター、情報誌・・・使える媒体を使って必死に探しました。

その頃、彼女がバイト先でずっといじめにあい、毎日辛い思いをしている事を聞き、彼女も
バイトを辞める事となりました。

安い給料、苦しい家計

その頃は幼い愛犬も一緒にいました。

30代手前、彼女と二人で職なし、貯金なし。プラス愛犬。

言葉にすれば、絶望そのもの。

ですが、まだ仔犬だった愛犬と、こんな馬鹿でもずっと側にいてくれる彼女を見て、
自分はまだ頑張れる、頑張ろうと思いました。

新天地を求めて、違う図面の世界へ

生活環境は劣悪になって行きましたが、仕事を辞めたオッサンを見かねた親が、毎月仕送りを奮発してくれました。本当に情けなく感じました。

正直、建築の世界は前述のブラック企業のお陰で、もう二度とやるまいと思っていました。
オッサンはコツコツと作業をするのが好きなタイプで、図面を書くことは大好きだったので、建築ではなく土木系に進むことにしました。

ただでさえ就職難の時代、今までの図面キャリアを生かせない就職先は、面接すら出来ずに
見事に落とされ続けたからです。

そしてついにインターネットで見つけた、今の就職先。

安い給料、苦しい家計

図面を作図する事は出来ても、使ってきたパソコンのアプリケーションが違うし、建築と土木では設計の内容も全然違う。結局、イチから学び直す事となったのです。

当時、誕生日を迎えて30歳となった時の給料は、時給850の短期契約社員。社保なし。
1日8時間=6800円。20日働いても14万円弱です。

残業があっても、16~18万円が精一杯でした。
30歳の男、手取り14万円。

【平均年収405万円】30歳代サラリーマンのお小遣いと平均年収の推移
大学を卒業後すぐに就職して、ひたむきに仕事を続けてきた人。 就職したあと、友だちとよく飲みに行き、仕事は適当にしてきた人。 ...

上記の当ブログ記事でも紹介していますが、30代前半の男性の平均年収は438万円です。
当時の私はよく首吊らなかったなーと、今でも感心しますよホント( ゚ω゚)

そして月日を重ねて仕事を覚え、一年半後には、短期契約社員から正社員になりました。
しかし給料は13万円、プラス残業代で、契約社員の頃と何ら変わっていませんでした。
ボーナスは数万円出た事もありますが、ここ何年もゼロが続いています。

正社員になって役職が付き、今に至るも安月給

頑張った努力が、少しだけ形になったものの、その努力はお金には変わりませんでした。
正社員となってからは責任も増え、取引先との打ち合わせや、見積書などのお金の仕切りは当たり前のこと、コミュニケーション力を買われて接待に連れられたり、会社の場を盛り上げる役として、色々と奮闘させられました。

会社では成績や真面目さ、部下や周りとのコミュニケーション能力、仕事のこなし方など、色々と総合的に評価を頂き、入社して6年、ようやく役職もつきました。

しかし、基本給は変化なし。

変化は無くても、役職手当が割増になり、徐々に日の目を見てきたかなと思いきや。
会社は経営が傾いており、給料を毎月しっかりと払えないような状況になってきています。

安い給料、苦しい家計

会長に対する多額の不労所得や、社長自身の高額な給料が原因と言う社員も多くおり、実態は見えていませんが、どうも納得いかなさそうな理由っぽいです。そういった理由から会社は
分裂傾向にあり、10人以上の人間が辞め、独立・就職していきました。

結果として、今では残業した分はフルに支払われず、ヒマな時期は相変わらず安月給のまま。
結局、オッサンはボーナスも満足に貰った事もなければ、お給料で満たされた事も一度もないまま、30代の生活を続けています。

「・・・そうか、俺は色々と思考が間違っている。」

そして2015年、決断を必要とする年となったわけです(´ω`)

今後の人生を変えていくスイッチを彼女が押した、その後

なんとまぁ自分のアホさ加減にも程があるというか、馬鹿正直というかバカ真面目というか。
「努力は必ず報われる、いつか必ず人生はラクになる」それが長年の自分への合言葉でした。

もちろん今でも、その精神自体は捨てていませんけども、少なくとも企業においては
「努力=金」ではないって事です。

そして、その自分への合言葉自体は、決して間違っていないと思っています。

彼女が押した、人生における「やる気スイッチ」とは?

毎年、オッサンが原因で彼女を怒らせては喧嘩をするんですが、今年は人生を大きく変えるような喧嘩がありました。細かに内容を伝えてもしゃーないので割愛しますが、ずっと側に寄り添ってきてくれたからこその、不満の大爆発でした。

でもそれは、今までのオッサンの人生をひっくり返すような、とても衝撃的で素敵なプレゼントだったかもしれません。

彼女が押してくれた、やる気のスイッチが入った瞬間でした。

そのスイッチというのは「変えなきゃ変わらない」という事。
単純で、でもすごく深くて、自分の人生を見直すキッカケとなってくれました。

スイッチを切り替えて、今までの人生を振り返る

喧嘩した後、しばらく重い気分でした。でも、一筋の光が見えるようになったと思います。
それは、「努力の矛先が違う」ということに気付いたこと。

こうして記事にすることで、より鮮明に人生が見えるような気がしますが、オッサンは今までずっと「何かに依存して生きてきた」と感じました。

  • 会社に勤めて努力を欠かさなければ、絶対に上司に評価される。
  • 努力を重ねていけば、どこかで必ず昇給出来る。
  • その努力は会社のためになるし、必ず自分のためになる。
  • この努力は会社に認められ、絶対にいい暮らしが出来るようになる。

どこかで植え付けられたのか、どこかで信念に変えてしまったのか、どうしてこのような発想に至ったのか親の教育の果てなのかは良く分かりませんが、いい社畜の典型と思います。

今でも、こうやって毎日頑張ってきた自分の非を認められない、もう一人の自分が少しだけいますよ(´Д`)

安い給料、苦しい家計

  • 会社に依存し仕事を努力して覚え、尽くした所で結局評価は上が勝手にすること。
  • 頑張っているからといっても評価をしない(出来ない)場合が多々あること。
  • 上司の機嫌を取って上手に出世をした所で、見合う昇給があるとは限らないこと。
  • 「何か」に依存をする以上、「必ず・絶対」ということなどあり得ないこと。
  • 会社が発展・出世に積極的でない限り、そもそも昇給自体がないこと。

努力しようがしまいが、昇給は上層が勝手に会議で決める事であり、その会議をするかどうかさえも、勝手に上層が決めるというのが今の勤め先。

社長の天の一声で「社員一律で、昇給なしね」と言われてしまえば、どんなに努力を重ねたって生活水準は変わらないですね。そして、今まで勤めてきた会社も、例外なく全てがこのパターンでした。

つまり、「努力は必ず報われる、いつか必ず人生はラクになる」という精神は良いが、
その評価を常に他人に依存していたものだから、努力しても努力しても、他人から見て「・・・ふーん。」で終わってしまうのでした。

しっかりと評価をして頂ける企業様であれば、こうはならないのでしょうけれど。
そういった出会いが、オッサンにはありませんでした。

依存することをやめて、自立することを目指そうと決めた

企業に依存しないとなると、独立?となりますが、当然すぐその道には行けません(´Д`)
貯金もロクにない、人脈も少ない、知識も技術も未熟。そんな条件の中で簡単に出来るほど、独立で生活の基盤を作るのは簡単じゃありません。

いずれはオッサンは独立を望んでいます。しかし、このまま依存を続けても、先なんて見えない事は百も承知と、今の自分にはそれがハッキリ分かっています。つまり、会社に依存せずとも「自立」して生活出来るような「資産」を自分に作る事が、いまの自分に出来る最大の事だと思いました。

努力の矛先を、「依存」から「自立」にシフトさせるようにしたのです。

安い給料、苦しい家計

人はお金の話をすると、何故か忌み嫌います。お金が欲しい、お金が好きなんだというと、こいつは卑しい男だと批難する人もいるでしょう。オッサンもそう思っていました。お金の話に耳を塞ぎ、現実から目をそむけ、金持ちなんか爆発しろ的な事を思っていましたよ( ゚ω゚)

でも今はお金に対して前向きで、もっともっとお金の知識が欲しいと思っています。
お金のルールを知らないで、お金に詳しくなんてなれません。
お金の価値を正しく知ることで、もっと幸せな自分になれると思っています。

変えなきゃ変わらない、だから思考を変えようと思いました

オッサンの大好きな言葉で、ヘンリー・フォード氏のこんな言葉があります。

「出来ると思っても、出来ないと思っても、どちらも正しい。」

人間は思考から行動を起こす生き物で、いつでもその人の思考が行動として現れて、結果が導かれます。

つまり、「出来る」と思って行動した場合の結果は「出来た結果」が現れ、「出来ない」と
思って行動しなかった場合の結果は「出来なかった結果」が現れます。

「自分は自立出来る」という思考を選んで、いつもと違った生活を送れば「自立出来る結果」が導かれます。「自分は自立なんて無理、依存でいい」という思考を選んで、いつも通りの
生活を送れば「いつも通りの依存している結果」が導かれます。

これって、どっちも自分なんですよね。なので、「どちらも正解」なわけですね。
「変えなきゃ変わらない」という言葉は、これを簡単に言ったものですよね(´ω`)

安い給料、苦しい家計

自分の人生に変化を望まない、そう思って行動すら起こさず、同じ日常を過ごして変化を嫌う人間にチャンスなんて一生来ないんだって事を、彼女のスイッチが教えてくれました。

自分の考え方や生き方を変化させていくことで、未来の自分が変化していくんだと、
今では素直にそう思えます。

今まで変わろうとしなかったから、ずっと貧しいままでした。
変わろうとして行動を起こせば、未来も変わっていくと思います。

さいごに

スイッチが入ったのがつい3ヶ月ほど前でした。今でも「努力は必ず報われる」と信じていますし、これから先もずっと、その精神は変わらないと思います。
変えなくてはいけなかったのは、その精神ではなくて、その方向だったんですね。

実は、今では1年後の自分、3年後の自分がどうなっているのか楽しみで仕方ありません。
一昔前だったら、今の現実に目を背け、先の見えない未来に恐れさえ感じていました。
不思議と安心出来ているのは、自分の中で目標意識が高まり、今までと違った生き方をしようと決めたからかもしれません。

いままでと同じ生活であれば、いままでと同じ不安と苦労をしているはず。でも今はちょっとだけ違う。資産について一生をかけて学び、今後の人生にとって良い方向に進むよう、頑張っていこうと思っています(´ω`)

安い給料、苦しい家計

まだスイッチが入ってから日も浅いので、目立った成果は出ていません。ですが、毎月の給料以外の収入源を作り、徐々に徐々に副収入として役立つようになってきました。

オッサンの中で「資産の件については、諦めようかな~という思いは無い」と宣言しています。「諦める」なんていう、悠長な余裕などもうとっくに無いからです。

今が一番崖っぷちで、逃げ場のない状況です。だからこそ、絶対に続ける、諦めない、そう言い切れます。これを諦める時=首吊る時と思っています。

当記事を読んで、色々思われた方もいると思います(読む人いるのかも不明だけど)。
同じように崖っぷちで踏ん張っている人達、一緒に頑張りましょう。

また、こんなのまだまだヌルいぞ!という方もいるでしょう。上には上がいるもので、もっと過酷な状況で辛い思いをなさっている方も、世の中には大勢いると思います。

1年後、3年後、5年後に自分と大切な人が笑って過ごせるように、今できる事を精一杯
やってみましょう。

スポンサーリンク