他人の顔色をうかがう生き方に疲れた、自分らしい生き方が出来なかった理由

ブログ雑記シリーズ。今の自分の人生において、成功の道をまっしぐらに向かってる!と
胸を張って言える人はどのくらいいるでしょうか?

オッサン( ゚ω゚)は真逆で、日々どうしてこんなに苦しいのか、失敗の連続なのかと失望する
道をまっしぐらでした。

立ち止まり、自分の心の中身と、自分の歩んだ人生と、これからの自分の未来について、じっくりと考えた事があるでしょうか。

今まさに私はその途中にあります。

その中で、自分にはいくつものトラウマがあり、自分を上手に表現出来ないという事実と、真っ向勝負することにしました。

今回は、まだまだ改善されていないけれど、自分らしく生きるためにやっていかねばならないと感じた事について書いてみました。

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自分の目標について、リストアップすることで見えた弱点

他人の顔色をうかがう生き方

最近、よく自分の人生について、考えさせられるような出来事が頻発していました。

貧しさ、社会的地位、家庭環境、そして自分自身について、普段であれば立ち向かっていくのを「面倒」に感じるような事に、向き合う時間を作らざるを得なくなりました。

今までの自分の人生を振り返ってみて、例えば自分の長所や短所、やりたいこと、出来なかったこと、諦めたこと、許せないこと、感謝したいこと、それらをリストアップしてみた事ってありますか?

私は一度もありませんでした。

実際に書いた時「自分は、本当は具体的に何がしたいのか、どのような結果が欲しいのか」が、まったく書けませんでした。

つまり、漠然と「こうなりたい」という欲求はあるのですが、それがどのような形で叶って
欲しいのかを、全く見つけられなかったのです。

自分の性格を分析してみた時、八方美人だとわかった

自分の将来について、ハッキリとした未来がまったく見えてこない。

どうして?自分の思いを書き出すだけなのに?

仮に幻想で終わってしまったとしても、夢の一つくらいあるだろう・・・。

でもなぜか、いつまでたっても自分の意見が出てきませんでした。

ただ、お金持ちになりたい。ただ、人から感謝されたい。ただ、周りから愛されたい。
ものすっごく漠然としていました。

他人の顔色をうかがう生き方

どうして自分の意見が出てこないのだろう?

そう思った時、普段から自分の気持ちを抑えこみ、他人に同調し、他人の意見を道標に人生を歩んできた自分に気付きました。

  • 相手に嫌われたくない
  • 相手にどう思われるのかが怖い
  • 自分の意見なんて相手にもされないだろう
  • 言っても理解してもらえないだろう

そんなネガティブな発想が自分の脳内を駆け巡っていました。

相手に合わせれば、相手は喜んでくれる。
相手に合わせれば、納得してもらえる。
相手に合わせれば、その場が丸く収まる。

自分はこう思うけど、どうせ馬鹿にされるから黙っておこう。
自分はこう思うけど、どうせ理解してもらえないから黙っておこう。
自分はこう思うけど、どうせ否定されるだけだから黙っておこう。

自分が我慢すれば、この人の機嫌を損ねずにすむ。
自分が我慢すれば、この人が喜んでくれる。
自分が我慢すれば、この人が笑顔のままでいられる。

そんな思いが自分を形成し、他人に同調し、どんな人にもいい顔を見せる、八方美人になっていました。

相手に合わせる生活に慣れ、自らの目標や意思を放棄していたようです。

過去のトラウマが形成した、自分を押し込める技術

いつしか他人の機嫌を過剰にうかがい、少しでも相手が怒ると、ソワソワして落ち着かなくて、自分が間違っていなくても「間違っている」と思い込んでしまう。

争いが大嫌いで、揉め事なんてごめんで、自分が我慢さえすれば、そんな場面に出くわさなくて済む。

そんな思いから、周りに同調して誰にでもいい顔をする、誰にでも良く思われたい自分が出来上がりました。

思えば幼少の頃から、親には厳しい教育を受けてきたように思います。これはどこの家庭でも同じ事なのかもしれませんが・・・。

オッサンの父親は医師で、ドラマにあるような英才教育、亭主関白、悪事は許されず、自分の意見は全くもって「聞いてもらえない環境」で育ちました。

親の言う事が何よりも絶対であり、服従しか許されません。

テストで95点をとれば、5点を落とした事を責められました。自分の意見を言えば、その意見が誤りである事を淡々と指摘されました。

そして私は、いつしか自分の意見を全く言えなくなり、親の顔色をうかがって毎日を過ごすようになりました。

そういえば、行きたい専門学校があって、父親に「専門学校に行きたい」と相談したとき、

専門学校は「クズ」の行くところだ。大学へ行け。と言われた記憶があります。

そういった、偏見でガチガチの容赦の無い発言を、平気で吐き捨てる父親でした。相手の気持ちなど二の次、三の次。

当然、そんな生活をすれば、途中でグレるわけですけども、グレても幼少の頃に形成されたその性格は、もう直りませんでした。

友人の顔色をうかがって自分のやりたくもない事をやり、彼女の顔色をうかがっては自分が全て悪いと責め、両親の顔色をうかがっては自分の意見を抑えこんで生きてきました。

いつの間にか、そうやって生きることが当たり前になり、そうなった自分に気付きさえしませんでした( ゚ω゚)

理屈で分かっていても、行動できない無力さに浸る

他人の顔色をうかがう生き方

こういった、周りに同調を繰り返す自分になってしまった人は、オッサンだけじゃなくていっぱいいるんじゃないかなと思います。

自分の信念がなく、意見があったとしても言えない、行動に出せない、怖い。

理屈では分かっているんですよね、このままじゃいけないって事。でも、頭で理解していても身体が動いてくれないのです。

解決策は、皆がなんとなく掴んでいる

自分では「こうしたほうがいいに決まってる」ってわかっている人が大半じゃないでしょうか。巷では「もっと自分らしく生きよう!」と軽々しく説いています。

出来てりゃ誰だってやってんだよそんなもん。そんな思いです(´Д`)

自分らしく生きたほうがストレスが少ないですし、自分で歩いてきた道だからこそ後悔も少なく、自分の望んだ方向にスムーズに進んでいけると思います。

自分を出せず、他人に道筋を作ってもらい、他人に着飾ってもらい、他人に依存する。

そんな生き方はイヤだと、それはもう十分に分かっているはず。

他人の顔色をうかがう生き方
では、なぜ動けないのでしょうか。・・・一つは恐怖です。

こう思われるんじゃないか、嫌われるんじゃないか、怒られるんじゃないか。

自分の意見を放った時に、反論を受けて説得をしようとしますが、その時の相手の目線やしぐさ、口調、態度、全てが怖い。オッサンはそう感じています。

私のもう一つは諦めです。

どうせ納得してもらえない、どうせ理解してもらえない。反論される事が目に見えている相手に、わざわざ自分の意見をぶつけても無駄だ。

そんなもの、疲れるだけだ・・・という気持ち。

生き方を変えるためには、思考と行動を変えるしかない

結局、自分がたどり着いたのは、思考と行動を変えていくことでした。

今まで顔色ばかりうかがい、ないがしろにしてきたもう一人の自分と対話して、自分が本当は何を望んでいたのかを知ること。

生まれ変わった、自分らしい生き方をしている成功した自分、もしくは自分が尊敬する人物であれば、どう判断するだろう?どう行動するのだろう?というのを基準に、物事を考えるようにすること。

自分の持った信念や意思を「自分はこう考えている」と常にしっかり認識することで、他人の意見でブレる事のない自分にすること。

こういった認識ができれば、少しずつ自分らしい行動が出来るのではないかと思います。
今まさにそのように行動中で、少なくとも3ヶ月前の自分とは違う自分に気付いています。

他人の顔色をうかがう生き方

長い年月で形成されたように、新しい自分になるのも長い年月が必要と思います。

ただ、しっかりとその都度、自分の意思に注目して決断するように心がければ、早い段階で自分らしい選択が出来るようになるのではないかと考えています。

自分のメンタルとの勝負。

これに勝てれば、人生が少し変わってくると思います(´ω`)

もちろん、自己愛の度を過ぎて自己中心的になるようではそれもまた問題で、変わっていくことを大事に思う反面、変わらずにいる部分というのも大切かなとも思っています。

「相手100、自分0」だったところを「相手80、自分20」にしたり「相手60、自分40」に持っていけるように、今後も励んでみたいと思います。

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